松本きいち「変えるのは、今。」 —大工‧ 市議‧ ダンサー、 70年の歩みと市長への決意
通学路を安全にしたくて市議になり、 27年間地域に寄り添い続けた職人政治家。 大工として磨いた「現場を見る目」 と、 社交ダンスで培った「リズム感」 を武器に、 「変えるのは今」 の想いを胸に、 栃木市長選に挑もうとしている松本きいち氏に話を聞いた。
「子どもたちのために」 — 市議への原点
「この道を整備して子どもたちに安全に登下校してもらいたくて市議になったんだ」 と、 松本きいちは目を細める。
政治の道を志したきっかけは、 等身大の父親としての思いだった。 3人の子どもたちが通った大宮幼稚園、そして大宮北小学校。 PTA会長を務めていた当時、 松本は地域の通学路の危険さに心を痛めていた。 狭い道、 行き交う車。 子どもたちが安心して歩ける環境ではなかった。
実際に、松本の長男(現在「松本住建」の社長を務める康功氏)の同級生が通学途中に交通事故にあって亡くなるという痛ましい事故も起きていた。
「学校の先生や、 警察関係の保護者の方、 そして地域の方々から『きいちゃん、 市議になってこの道を何とかしてく れ』 と背中を押されたんです」
その思いは形となった。 松本の尽力により、 大宮北小学校東側の道路は歩車道分離の工事が進み、 完成目前となっている。 さらに学校の南側には新たな県道の建設も進んでいる。 27年前の「父の願い」 は、 確かな「地域の安全」 として結実しようとしている。

歩車分離が実現した大宮北小学校前の歩道で
27年間の市議活動 — 地域に刻んだ実績
「話せば何十年も前のことも含めて細かい固有名詞がずらずらと出てく るが、 そうでないと議員はつとまらないからね」 と笑う松本。 その言葉通り、 27年間の実績は枚挙にいとまがない。
議員になって最初の大きな仕事は、 栃木駅‧ 新栃木駅の東西自由通路の実現だった。 それまで分断されていた駅の南北をつなぎ、 市民の利便性を大きく 向上させた。

母校である東陽中学校のグラウンド拡張も、 松本の粘り強い交渉によるものだ。「狭い校庭では部活も満足にできない」 と教育委員会に訴え続け、 15,000平米の拡張を実現。 さらに2年前には柔剣道場(武道館) の新築も成し遂げた。 現在は、 老朽化した大宮北小学校体育館の床全面改修にも取り組んでいる。
また、 市街化調整区域の規制緩和にも尽力し、 地域に250軒もの新しい住宅が建つ環境を整えた。「人が住める場所を作らなければ、 まちは元気にならない」 という信念がそこにはある。
税金は市民のもの — 議員弁当廃止という決断
20歳の頃から自民党員一筋だという松本だが、松本には「改革派」 と言える一面もある。 それは税金の使い方に対する厳しい姿勢だ。
初当選した直後の6月議会でのこと。 昼食時に議員全員に弁当が配られた。「これは誰が出しているのか」 と尋ねると、「公費(税金) です」 という答えが返ってきた。
「すぐに議会事務局に行って『止めてくれ』 と言いました。 先輩議員からは『お前何様だ』 と猛反発を受けましたよ。 でも、私は引かなかった。」
「だって」と松本は続ける。
「大工の世界では昔から”弁当と怪我は手前持ち"ですよ。(今は)怪我については労災保険があるけどそれでも弁当(昼食)は自前で用意するのが当たり前。大工だけじゃない。会社員だって、市役所の職員だって、みんなそうでしょ?どこの世界にお昼ご飯を税金で出してもらう仕事がありますか?」
「だから私は先輩議員に言ったんですよ。”先輩ね、税金から議員報酬もらってそれでお昼ご飯も買えないくらいなら、議員やめたほうがいいんじゃないですか?”ってね」
松本が他の議員と議会事務局にも働きかけて、 9月議会から公費での弁当支給は廃止された。 それ以来27年間、 議会中の昼食は妻の手作り弁当を持参している。

インタビュー当日も自慢の「愛妻弁当」を取材チームに見せてくれた
行政視察のあり方にもメスを入れた。
以前は豪華なホテルに泊まり、 昼夜の食事代も公費だった慣例を改め、 宿泊費の上限を1万円とし、 食事代は自己負担とする改革を断行した。
「改革するには必ず反対がある。でも、 税金は市民のものだから」。 その姿勢は一貫している。
大工として生きる — 職人の矜持と「木の声」
松本のもう一つの顔は、 叩き上げの職人だ。 大工だった父の背中を見て育ち、 中学卒業後は住み込みで修行しながら、 宇都宮工業高校の定時制に4年間通った。

「姉が私立高校に行っていたので、 経済的に厳しかった。 だから早く仕事を覚えて自立したかったんです」
厳しい親方のもとで技術を磨き、 33歳の時には新潟県で神社の建立を任されるまでになった。
宮大工の技術は独学で習得したという。「やる人が少なかったからこそ、 技術を身につけたかった」 と語る。

栃木市内に残る松本が手掛けた「作品」。精巧なつくりに、職人としての松本が心血を注いだ跡がみられる。
「釘を使わずに建てるまでの工程、 材料の一本一本を吟味して選ぶ。 それが宮大工の仕事です」木と向き合い続けて50年以上。 松本は言う。

かつて工場の休憩所だったという一角には、長い職人としてのキャリアの中で手掛けた建物の写真が飾られていた
43年の社交ダンス — もうひとつの顔
事務所の2階に上がると、 そこには驚きの光景が広がる。 60坪もの広さを誇る本格的なダンスホールだ。
「結婚してすぐに友人に誘われて始めたんですが、 気づけば43年になります」

ホールに飾られている「ダンサー」としての松本の写真
かつてはプロの指導員を目指そうとしたほどの腕前で、 ラテンダンスではB級を取得。 現在は栃木県アマチュアダンス指導員協会の会長を務め、 地域の愛好家たちにダンスを教えている。
「市長選に出ることを決めたとき、 競技選手としては引退しました。 でも、 ダンスへの思いは変わりません。 リズム感と姿勢の良さは、 政治家としても大切ですからね(笑) 」
職人、政治家を支えてきた妻とは、ダンスでも「ペア」を組んできた。

家族とともに — 職人‧ 議員‧ 父として
多忙な日々を支えてきたのは家族の存在だ。 お見合いで結婚した妻とは、 苦楽を共にしてきた同志でもある。
「市議選に出ると言ったとき、 女房には『大工の嫁には来たけど、 議員の嫁に来た覚えはない』 と怒られるかと思いました。『嫌だったら離婚してもいい』 とまで覚悟を伝えたんですが、 黙ってついてきてく れました」
大工時代は朝早くから現場に出たが、 夕方は必ず一度帰宅し、 家族で夕食を囲み、 子どもたちをお風呂に入れるのが日課だった。 週末には川遊びやバーベキュー、 夏には海へと、 家族との時間を持つことを忘れなかった。

松本住建の工場の中にある子どもの遊具。父である松本の仕事を幼い頃からみてきた子どもたちも松本と同じ建築業の道を選んだ。
今では孫のために、 自宅の庭に鉄棒、 ブランコ、 登り棒、 雲梯(うんてい) などの遊具を自作してしまう「スーパーおじいちゃん」 でもある。
コロナ禍で学校が休校となった際に「孫が友達と遊べるように、 全部自分で溶接して作りました」。 その表情は、 厳しい職人の顔から優しい祖父の顔へと緩む。

「子どもたちは一段飛ばしで雲梯をやっちゃうから」と笑う
「変えるのは今」 — 市長選への決意
大工、そして栃木市議としても数え切れない実績を残してきた松本が、70歳を迎えた今、 なぜ市長選という険しい道を選ぶのか。 その動機は、 生まれ育った故郷への強い危機感にある。
「合併時には16万3000人いた人口が、 今では15万人を切り、 14万8000人ほどになっています。 このままでは、 10年後には財政が破綻しかねない」
歴史ある蔵の街、 豊かな農産物。 栃木市の魅力は十分にある。 しかし、 若い世代が流出し、 戻ってこない現状がある。 27年間、 市議として市政の現場を見てきたからこそ、 その深刻さが痛いほど分かるという。

県全体を見る県議会議員とも異なり、地元密着の市議として市民一人ひとりの声に耳を傾け続けてきた自負がある。「市のことなら誰よりも分かっている」 という言葉は決して大げさではない。
「株式会社栃木市」 — 経営の視点で地域を再生する
松本が掲げるビジョンの一つが、「株式会社栃木市」 という発想だ。 行政にも経営の視点が必要だと説く 。
「産業団地や工業団地を整備して企業を誘致し、 雇用を増やす。 働く場所があれば、 人は減らない。 さらに住む場所としての分譲地も市が主導して整備する。」
医療体制についても、 公立病院化を含めた抜本的な見直しを視野に入れている。「病院は市民にとってなくてはならない命の砦。 そこには税金を投入してでも守るべきものがある」 と語る。
職人として家を建て、建築会社の経営者として会社を守り、そして議員として地域を見てきた松本ならではの、 現実的かつ力強い再生プランがある。

「結果は、 後からついてくる」
インタビューの最後、 選挙戦への思いを尋ねると、 松本は清々しい表情でこう答えた。
「選挙は「政」(まつりごと)であり、祭り事でもある。みんなに応援してもらって、やるだけのことをやれば、 結果は後からついてくる」

市議選当選時のだるまが今も事務所を見守っていた
事務所では、 長年の支援者たちがまるで家族のように集まり、食事を囲んでいる。 この温かい人の輪こそが、 松本が愛し、守りたいと願う栃木の姿なのかもしれない。
神社の木々で遊んだ少年時代、 技を磨いた大工時代、 通学路の安全に奔走したPTA時代、 そして激論を交わした市議時代。70年のすべての歩みが、今回の挑戦に繋がっている。

自宅裏にある神社の境内に植えた桜の前で
「市民の声を聞き続けて27年。 これからの栃木市に必要なことは分かっている」
職人の手と、 政治家の眼差しを持つ男、 松本きいち。愛する栃木の未来を守り、そして切り拓くため、今、大きな一歩を踏み出す。

PROFILE: 松本きいち(まつもと きいち)
栃木市大宮町出身・在住。 建築会社「松本住建」 創業者にして初代社長(現在は会長) 。 栃木市議会議員を通算7期27年務める。 趣味の社交ダンスは43年のキャリアを持ち、 栃木県アマチュアダンス指導員協会会長を務める腕前。 小柄だが、 地域を歩いて真っ黒に日焼けした顔と、 ちゃきちゃき歩くスピードが印象的。 愛称は「まっちゃん」「きいちゃん」。趣味はダンスと料理。
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